なんだかこの頃、すっきりしない天気が続いている。今日も曇天。おまけに寒い。
でも今年もけっこうあったかいから、ピリっとはしない。
澄んだ冬が私は好きだな。きれいなものを、ついつい好きになってしまうな。
このごろはもう、冬とは思えないほど暖かくて、暦ってあなどれないなと、
またもや感じてしまった。
立春。まさに春は、もうはじまっている。
昨日、日記にあったかくなってきたなと、かいたばかりなのに、ゆうべは吹雪。
それがけっこうよかった。それなりにきれいだった。
この雪に対するのんきな気持ちは、本格的な雪国で暮らしたことのない証拠です。 学生時代を過ごした松本市は、それなりにふってましたけど。
不思議なもので、松本では、雪のふる日は、あったかいんです。 ちょっとゆるむんですよ。降らない日が続くともう、
最低気温−17゜とか平気でなっちゃう。窓の内側が氷って、部屋の中でも朝は吐息 が白い。
思い出すだけでも寒いのに・・・何故かなつかしいな。
うちに金魚がいる。そう、あの金魚。 名前はナラ。彼(実は性別不明)と出会ってかれこれ3ケ月になる。
これがまためずらしくよく寝る金魚で、 夜中なんか縦になって浮遊しながら寝ている。
「金魚っていつ寝てるんだろうね」とかいう質問には、
彼が簡単に答えてくれるだろう。 しかも金魚には胃がないらしく、えさをやればやっただけ食べてしまう。当然よ
く食べる。
幸せの見本みたいなナラだが、たった1匹だ。 かわいそうなのでそのうちもう1匹、と思いつつ、
とりあえず水槽のとなりに鏡をたててやって
現在に至っている。 鏡のなかのもう1匹のナラとはうまくやっているらしい。 もの足りないのは、我慢してくれている。
そして今日も仲間をまちまち、昼寝である。
表参道でホコ天復活の署名運動をしているのを知って、さっそく署名してきた。
日本は芸術に対する活動への理解の少ない所なのではないかと 思えてならない。
べつに批判しているわけではなく、あれはいい文化だったと私は思う。
続けるためには、人としての最低限ルールは守られていたであろうし、 机上では学べない、何かがあったはずなのだ。
抑圧された感情をどうしていいんだか分からない、なんてことは、世代に関係なくあ るはずだ。
わからないなんて、うそだ。
健全とは、秩序のなかでなら何をしても保てるものではないのだろうか。
一日も早く、表現者たちにやさしい社会が、きますように。
今日はバレンタインデー。 チョコレート売場は、女の子only。すごいよねー。
気味悪いくらい混雑ぶりだった。
あれは本当に愛だけなのだろうか
毎日、夕飯のおかずを何にしようかと考える。 少しでも美味しいものを食べたいのだが、
なにせ作るのは、この私。 大抵のものは作れるが、もう先に味が想像出来てしまう。
計ったり本をみたりしないで感覚で作るのに、
毎回同じ味がする。 たまには違う味のものが食べたい。 私の味はうす味で、不思議なもので母そっくりだ。
母のつくらないものはつくれない。たとえば酢豚。 よそで食べたことなら何回もあるし、作り方も知っているのに作れない。
DNAに組み込まれてない気がするのだ。 だから、たまにはちがうものが食べたくても、
結局のところ味の想像できないものを作る才能は、
私にはなさそうだ。
さてと、そうはいっても今日は美味しいものが食べたい。 寒いからキムチ鍋にしようと思っている。これもまた、母はつくらない。
未知の味に挑戦しようと思う。
何だか曇りがちの日がつづいている。晴れ間がみえる程度で、ふとんを干しても
すっきりしない。
カラっと晴れないかな。心も天気も。
実家のほうで、久しぶりに雪がふったらしい。 もともとは、よく降る地域なので、なんの問題もないらしいのだが
テレビのなかではみんな転んでいて、降らなくなって、久しいんだなと 改めて感じた。
雪の、あの1回リセットされる感じがいい。まっしろになって、また初めから みたいなとこがいい。
積み上げてきたものよりも、これから作っていくものに目をむけようと 思っている今日この頃。
ここの所、3日連続で私が普段利用している私鉄のダイヤが大幅に乱れた。
やれ車両故障だの、レール破損だのと、続く時は続くものらしい。
こんなに大勢の人の足に影響がでても、せいぜい車内放送であやまるくらいのものだが、遅刻したほうは大騒ぎにちがいない。
大事な商談など、絶対遅刻できない 状況の人だって大勢いるはずだ。なのに責任は個人にあることになってしまう。
そんなわけで、私は何か一つ、なんでも手に入るとしたら昔から『どこでもドア』 が欲しい。旅費も時間もかけずにどこにでも行けるなんて
最高だと思うからだ。 作曲家の友達に同じ質問をしたところ、『夢を全部録画できるビデオ』が欲しいそ
うだ。寝ている間に出来た曲を、
朝思い出せないのが苦痛だそうだ。わかる!と私も 思うのだが、忘れたから、いい曲だったと思えるのかもしれない。
全部録画できた ら、 それこそ夢も希望もない結果になりそうだ。曖昧にすることで、”夢の中ではもっと
いい曲かけるのにな”と、
それこそ”夢”みることが出来ているのだから。
ところで、今日は電車がおくれたために、乗ろうと思っていた電車の1本前の電車に乗れた。
なんだか接続もよく、思ったよりも早く目的地に着いた。
同じ穴のむじな...そこに居る時には気づかないけれども、離れてみたら
自分もそうだった、ということがある。
グループで活動したりすると往々にして価値 観が1つになりがちだ。正解が1つしかないと思っている。私もかつて、そういう団体にいた。
ものすごく狭い世界だったこと、そのときには全く気付かなかった。
今は、芸術に関しては正解も不正解もないと思う。自分がやりたいことを表現していくなかで、
あるのは『善し悪し』じゃなくて『好き嫌い』なんだと思う。
CDとして 作品を残してみてわかったこと、それはどんな作品も善かれと思って、しかも様々
な人々のたくさんの愛がいっぱい詰まっているということ。
やりたいことをどこかで切って、その時のmaximumを作品として残すことで次に進みたい方向がより明
確になるというと。
なにもかも流れているのだ。全体をとらえることなんて、本人にも無理だ。すべ てを明確にするのも、すべてから逃げるのも、大差のないことだ。
音で表わすことが本筋なので、これからも柔軟に続けようと思う。固執や偏見は、幅をせまくするだけだ。
もう、むじなになる気は、さらさらない。
信号をみると昔から、なんか目が乾いてくる。 見開きっぱなしで規則正しく作動する信号。敬意を表してしまう。
かといって、まばたきする信号もどうかと思うが、いや、ちょっと見てみたい気もする。
うかうかしていられず、居眠りドライバーが減ることうけあいである。
うちの中学では、毎回始業式に1册のノートを渡された。その名も『生活設計ノー
ト』。 ものすごいネーミングだ。
次の日の予定とその日の日記を書くものなのだが、予定 どおりに事が運べば苦労しない。そんなノートを、それでも3年間書き続けた。
続けることはどうやら得意らしく、6年生のときには”よく続けたで賞”みたいな賞状をもらったことがある。続けることはいいことらしい。
音楽はそのサイたる ものである。でもその音楽のせいで、いまだに”生活設計”が、全く出来ないでいる。
うちの実家は薬局で、定休は毎週水曜日だ。学校の休みは言うに及ばず日曜日。つまり子供の休みと親の休みがあってなかった。
小さいころは他のおうちみたいに日曜日に出掛けたいな、と思ったりしたが実現しなかった。
春休みや夏休みだけ双方 の休みがあうため、水曜日がまちどおしく、ちょっとしたお出かけがかなり楽しかっ
た。
あれからかなりの年月が流れた今もなぜか、なにがあるわけでもないのに、水曜日は他の曜日とは違ってほんの少しだけ、
わくわくしてしまう。
私は中3の時から花粉症で、毎年この時期はなんだか頭や体がすっきりせず、ボーっとしてしまいがちで、
本格的に花粉が飛びはじめる3月は、かなりやる気のない季 節だ。
しかし、そんなナマケモノの私がこのたび、初ライブにむけてのメンバーを集め、まもなく始動する。いつもと違う3月になりそうだ。
3日坊主になると思って始めた日記も、1ケ月以上つづいている。 文章を書くこと自体はきらいなほうではないが、
楽しいと思え始める頃に生みの苦しみに入る。まるで曲づくりのようだ。白紙のうえに自分でかいた文章がのってゆ
く作業。本当に似ている。
しかも、空気のうえに他にお手本などない自分の声をのせてゆく作業、そう、歌 うことともそっくりだ。
なんだ、私って、結局同じようなことしかやってないんだ な。
ある方からの頂きものなのだが、うちには鳩時計がある。がっしりしていて、色も形もとても気に入っている。電池で動いているとはいえ、
ふりこがまたいい。 でももらったばかりの頃は、一つ難点があった。昼間は気にならないのに、寝る前
にいきなり振り子の音が気になりだして、
寝つけないこともしばしばだったのだ。
しかし慣れとはこわいもので、この音はうちにとってはあたりまえのものとなり、 音がすることすら全く忘れていた。
また近頃、何故か寝つきが悪い。ふと見ると、鳩時計がとまっていたのであった。
閏年について、小学校のとき習ったような気がするのだがほとんどうろ覚えであ
る。
通例は4年に1回、2月が”28日”から”29日”と1日増えることで1年が3 66日となる。
が、それでは増えすぎてしまうらしく、100年に1回、1日増やす のをやめる。
さらに、それではやっぱり足らないらしく、400年に1回、1日増や す。
さらに...とまあ帳尻をあわせるのが大変そうだが、今年がその400年に1 回、の年にあたるらしい。誰が覚えててくれたんだろう。
そして、その次のことは誰が伝えるんだろう。なんて ばかなことをちらりと考えてしまう。
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