2000.3.16(木)
19**...と生まれた時からこの年号だったので、日付を書こうとしてもう何回も書き間違えている。つい19...と書いてしまう。
どうしても2000と書けな い。
あたりまえに数が足されていって“2000”になっただけのことなのに、なぜ か‘19’を消す時少しだけさみしいのは、
私だけなんだろうか。あんなことも、 こんなこともあったことを、その歴史ごと消しているような気分になるのだ。  
そして“2000”と書き直した瞬間、新しい未来へ目をむけていこうと、ちょっ と元気になる。 ようは、私はかなり、気まぐれなのである。

2000.3.17(金)
いつ頃からだろうか...ことあるごとに“1年前の自分から今の自分は想像できな い!”と思うようになったのは。  
学生のころは、想像できた。おかげさまでふつうの学生だった私は、中1の次は中2、高2の次は高3だったからだ。  
学生が終わったとき、これからは何かにぶらさがって生きられなくなることが、漠然とこわかった。
1人で立っていることが非常に不安定に思え、手すりのない道を初めて歩くような感覚を味わった。
だから普通に就職した。こわがりの私はこれでいいはずだった。でもだんだん、1年後の自分を想像出来るような日々を過ごしてしまう自分、
それを選んだ自分を肯定できなくなり、1回だけ思い切ってみようと、手ばなしで歩いて みようと、思ったのだった。
そうやって厳しいほうへ自分を追いやらないと、元来なまけものの私は、変わらないのだ。  
今なんとか歩くことが出来ている。その結果、1年後の自分がまったく想像できないのが、当たり前になってしまった。
ということは、「来年の自分も“1年後の自分がまったく想像できない自分”にちが いない...」と...想像できる。

2000.3.19(日)
久しぶりの休息。今日は家でゴロゴロしている。 頭の隅々までをoffにすることで、ふっと次にすることがわかったりするのに、
どうしても力が入りがちな私は、つい、いろいろと考えてしまう。“自然体がいい”なんてよく言うが、私の自然体は、
人からは疲れそうにみえるこの、力の入った状態か もしれない。 そうはいっても鼻歌をうたっては寝っころがっている今日は
かなりのoffだ。いい曲かける日も近いのではないだろうか...近いんじゃないかな...近いといいな...

2000.3.20(月)
どうやら今日は春分の日らしい。いい加減ですよね。本当のお中日(春分の日)は 明日なのだそうで、どうも納得できません。
もうこれで“春分の日っていうのはね、 昼と夜の長さが全く同じ日だよ”とはいえなくなり、“昼と夜の長さが全く同じ日からみて一番近い
月曜日だよ”とかなるわけで、ああややこしい!皆さんはどう思われ ますか?  
成人の日は1/15、体育の日は10/10、etc...と、もう体が覚えてしまっているのに、私個人的には反対です。
連休にしたいからって、祭日が年によって移動するなんて。かえって不公平だと思うんです。土日休みじゃない人にとっては、なんの関係も
ないし、うちみたいに自営業の子供は、定休日が水曜日だったりする家の子供は、日曜日には一緒にあそびにいけないけど、
祭日が水曜日だと、一緒にあそびにいける楽しみもあったのに。そういう楽しみも減ってしまうなんて...  
あのころにもし、この法律ができてたら、かなり親との思い出が限定されていたことでしょう。
いや、もういっそのこと学校なんて休んで、遊んでたことでしょう。

2000.3.21(火)
‘子供は風の子、大人は火の子’...  
幼稚園の頃の冬のある日、“子供は風の子なんだから、たくさん着なくても大丈夫ですよー。たくさん着ると、かえって風邪をひきやすいで
すから気を付けましょうね ー”とかいう話のあとに、今何枚着ているか、聞かれた。
“1枚の人、手をあげて〜”からはじまって、“2枚の人〜”...。最高枚数は6 枚だった。 私は3枚着ていた。下着にセーターに園児服。
正直に3枚のところで手をあげただ けなのに“いとさん、本当ですか?”といきなり疑われ、先生に確認された。私以外 にそうされた子は
いない。そしてこう言われた。“こんなに甘えん坊で泣き虫のいと さんが、3枚しか着てないなんてつよいね。みんな、拍手〜!”  
ちっとも嬉しくなかった。拍手の中、沈んだ気持ちで、この話題が終わるのを待った。  
今でも、寒い時、3枚以上着てはいけないような気になる。甘えん坊の泣き虫は、 大人というよりは、‘火の子’に成長した。

2000.3.22(水)
先日、電車に乗っていたら、となりの席にどうやら大学1回生(今度2回生)の女の子二人が、なにやら困った様子。
どうやら卒業する先輩に贈る寄せ書きをつくるのがその1回生の仕事らしく、こんなことを話していた。  
「どうする?まだ○○さんと□□さん書いてないんだよね。もう、つかまんなくてさ〜。」  
「じゃあ、代筆だね。字体わかる?」  
「わかるわかる。書けると思うけど。」  
「それで大丈夫だよ。」  

....え―――っ!!...何が大丈夫なんだろう?少なくとも私はそんなことしたこ とない。ばれなきゃいいってもんなのか?嘘も方便なのか?
そんなにまでして全員そ ろってないとだめなのか―――っ?!!...  
心のこもった寄せ書きだと信じて卒業していく人々にとって、本人の知らない所で 嘘が残ることは、果 たしていいことなんだろうか。
と、いろいろ思いをめぐらせてみたが、当然ながら私に成すすべもなく、そんなものだと諦めることも出来ず、 電車にゆられ、
二つだけ雲のかかった寄せ書きが、しばらく私の頭のなかを支配していた。

2000.3.23(木)
コーヒーショップ。窓から人の流れが見下ろせる席でコーヒーを飲むときは、ついつい長居してしまう。
何を見ているわけでもなく、ぼんやりとそれを眺め、“みんな急ぎ足だな”とか思ったりする。  
私のペースは一定にコツコツの‘かめタイプ’ではない。ガーッと走ったら休む、 しかも思いっきり休む‘うさぎタイプ’だと思う。  
そんな無茶苦茶なペースでも、なんとか毎日すぎてゆく。「止まる」のと「止める」のは、違うんだからと、このペースとつきあっている。
そして店から出て、さっきまで見てた流れの中に自分も入りこみ、とりあえず歩くのだ。

2000.3.24(金)
高校時代、弓道をしていた。弓道の試合というのは、8本の矢を射て、的に当った 本数の最も多い者を勝者とするわけなのだが、
個人戦の場合、まず8射5中(8本中、5本が的に当ること)した者は、2回戦に進み、あとは1本ずつ射ていき、外し たらそこで退場し、
最後まで残ったものが優勝ということになる。  
私はある試合で、なぜか調子が良く、2回戦まで残った。1本射る、当る。また1 本射る、当る...と気付いたら、残りが3人になっていた。
また1本射た、当った。とうとう2人になった。そしてこう思った。「次も当てれば優勝かもしれないな」  
そう思ったとたん、射た矢は的をわずかにかすめ、にぶい音がして、的からはずれた。  無心に射たときは、当ったのに、
邪念が入ったことで外れてしまった。  ...勝とうと思った瞬間...負けたのである。  

2000.3.25(土)
ピアノのレッスン、先生にこう言われるときがあった。“今、テスト期間中でし ょ?”   普段からこのくらいやりゃぁいいのに、
そういう時に限っていつも、ものすごく弾 いた跡がみえるらしく、テスト期間中なことはバレバレだった。  
やらなきゃいけないけどやりたくないことがあると、そこから逃げてしまう。しかも臆病者の私は、自分の中で何かしらの理由が必要で、
この場合の理由は“ピアノの 練習も大事だしさ”だった。
その傾向はいまだにあって、今日は一生懸命、部屋の片付けをしてしまった。 掃除ぐらいにいちいち理由なんかつけなくていいのに
“部屋がきれいだとやる気でるからさ”となる。 なにから逃げたかもちゃんとわかっている。
自分をきちんと肯定できるまでは、この傾向は続いてしまうだろう。床や、壁を磨 きながら、小さな自分と向き合うことにした。

2000.3.28(火)
“雨の降る日は天気が悪いとは知らなかった...3点”  なつかしい、点取り占いの一文。駄 菓子屋に売っていたあれである。  
妙にシュールで、それでいてせつない、この、匂いのする文章は、私の目指す感じ なのである。
子供にむかってこれを書いているなんて、子供は実はなんでもわかることまで知っての行為にちがいない。  
この文を考えた人にとって雨というのは、天候のただの一事象であって、良くも悪くもないものなんだろう。雨を悪者にしたくなかったのかもしれない。
(いや、ほん とはそんな理屈とかなんにもなくて、ただホワンと、そう思っただけなのだろうが)  
言われるまでそれにきづかず、雨の日は「天気悪いね」なんてあたりまえに言って いた。なんだかバツがわるく、せめて「雨もけっこう好きだな」
なんて、あわてて言 ってみるのだが、靴がぬれ、かばんがぬれ、ジーンズがぬれ...「早く止まないか な」と、やっぱり雨を悪者にしてしまう自分がいる。

2000.3.29(水)
東京では今この時間、ものすごい雨がふっているにもかかわらず、きれいな夕焼け空である。  
かなりわがままな雨と、一歩もゆずらない太陽のせいで、こうなってしまったのだ ろう。めずらしい空の色と空気の匂い...一風かわったこの感じは
何故か心地良く、 それなりにさまになっている。  
ああ、なんでもありなんだな、このままでいいんだな、と...妙に落ち着いた気分になるのであった。


2000.3.30(木)
今日、東京では桜の開花宣言があった。
ささやかながら、私なりにお花見ということで、毎年ふらっと多摩川の河原へ行 く。  
淡いピンクの花びらが、ヒラヒラと舞うのをぼんやり見て、名残惜しそうに吹くま だ少しだけ冷たい風を感じながら散歩するのは毎年にことなのに
いつもちゃんと新しい春が来る気がする。ゆるやかな毎日ではないにしても、確実に時は過ぎ、こうし て春になる。  
いいものだな、と思う。きっとそういうことなんだろうと思う。

2000.3.31(金)
噴火してしまった。北海道の有珠山。今のところマグマまでは流れ出ていないらし いが、ものすごい噴煙をはきだしている。
山は、もとい、地球は生きているのだな。 とあらためて思う。山にとっちゃぁちょっとくしゃみしたくらいのことなのだろう。  
“おれ様は昔からただここにこうしているだけなのに、お前たちが勝手にこの上に住み始めたんだろう?”とでも言いたげである。  
そう考えると私達は、極めて不安定なところで生きていて、こんなにも一生懸命いろんなものを造りあげたのに、自然の大きな力には到底かなわない。  
...ひょっとすると、もともと安定志向なこと自体がナンセンスなのかもしれな い。





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