2000円札が、いよいよ7月に登場するらしい。
500円札が500円玉になるのは体験したが、全く新しい種類のお札が増えるの は、私にとってはお初である。
けっこうややこしい気がするのは私だけだろうか。“おつり、2000円札混ざっ てもよろしいでしょうか”なんてことになるだろうし、
なんてったって2000円札 だけでは、5000円にならないあたりがなんとも不思議な気がする。
今までは、 1円玉5枚で5円、5円玉2枚で10円...1000円札5枚で5000円、500
0円札2枚で10000円と、
そのすぐ下の額 のお札(例えば5000円なら1000円のお札)を2倍または5倍することで同額になったからだ。
が、早く使ってみたいのも本当で、案外なんてことなくそれを受け入れ、かつて500円玉
がそうだったように、
いつかはあたりまえに存在する日がくるのだろう。 そんなふうに、何にでも“初め”というのがあるものなのだ。
石原慎太郎さんが東京都知事になって、1年がたつそうである。
この1年を漢字1字にたとえると?の質問に石原さんは“焦”と答えた。あんな大 物が焦るんだから、私なんか焦って当然だと安心した。
都民への質問で、石原都知事を動物にたとえると?というのがあり“虎”という答えが多かったらしい。
学生時代、サークル仲間とお互いをあらゆるものにたとえて遊んだことがある。そいつら曰く、私をたとえると、こうだ。
◆動物にたとえると:コアラとかレッサーパンダ
◆色にたとえると:白、うすいピンク
◆お菓子にたとえると:ウエハース
◆果物にたとえると:桃
◆ドレミにたとえると:ファ etc...
自分ではこう思っている。もしくはこうなりたい。
◆動物:さる
◆色:ショッキングピンク
◆お菓子:チョコレート
◆果物:いちご
◆ドレミ:ド
...えらい違いである。 しかも私はそういう類いの遊びが昔から大好きで、いろんなものを色にたとえたり
していた。
ド=赤、レ=黄色、ミ=緑、ファ=ピンク、ソ=青、ラ=紫、シ=白
あ行=赤、か行=橙、さ行=黄緑、た行=緑、な行=茶色、は行=水色、ま行=ピ ンク
や行=はだ色、ら行=紫、わ行=黄色 etc...
人や、季節はいうにおよばず、いろんなことをつい色で考えるくせは、今だにあ る。
細かい色にわかれているものは、説明のつかない色になったりもするが、単純なも のから考えるので、
こうみるとものすごく単純な頭の構造であるようだ。
ちなみに“焦”は赤、“虎“は黄色、石原都知事は白である。
あまりに泣いちゃって、なんで泣いてんだかわからなくなっても自分で収拾つかなくなってて、とりあえず泣き続けているちっちゃい子供を見た。
どうやら、もっと遊びたかったらしく「ゲームしたかったよ〜〜〜!!」と言い ながら「ギャ〜〜〜ゥア〜〜ゥア〜〜〜〜!」と
もうさんざんなのだが、親がこうた しなめた。 「もう、いっぱい遊んだでしょ?また今度ね。」
するとちっちゃい子供がつぶやいた。「....耐えられない...」
お〜いお〜い、耐えられないって...子供のいう台詞かよ〜と、まわりで聞いてい た大人がみんなで大爆笑したら、ピタリと泣き止み、
「へへへ。」と““ないたカラ スがもう笑った”状態になった。
いいな。正直を通りこして、もどってきちゃってるなありゃ。
うちの金魚ナラも、だいぶ大きくなった。半年でこんなに大きくなるものかと感心
してしまう。今日は久しぶりに水をかえてやった。
まず、いったんバケツにナラを移す。元気すぎるナラはすごい勢いでぴょんぴょん 跳ねて、「狭いよ〜!」といいながら、ここでしばらく待つことになる。
その間に手早く水槽を洗い、砂利を敷き、新しい水を入れるわけだが、ここで大事 なのは全体の1/3ほどは、換える前の水をいれてやることだ。
全く環境を変えるのではなく、1/3残してやることで、金魚は快適に過ごせるらしい。
私は以前、学生のころ“前の私を知ってる人が一人もいないところへ行きたい”と かなんとか思いながら進学先を決めたりしていた。
全く環境を変えたいとよく思った ものだが、最近は一人でライブ見に行ったりしたとき、知ってる人がいるとホっと
したりする。
そうすると新しい仲間ともうまくやれたりして、なじむのが早いのだ。
さて、きれいになった水槽へナラを戻す。快適に泳いでいる。そんなナラを見なが ら、私もすこしだけ前の環境を残したいナラと大差ないな、
と思うのである。
さぼりにさぼって間があいてしまいました。
よくマンガなんかで、〆きりまぎわの様子をネタに、やっとこさ描いたようなのをみかけますが、その気持ちがけっこうわかりかけてきました。
曲はそういうわけにはいかないんですよね。〆きりまぎわをネタに何曲もかけない し。
今日の日記は近いものがあるね。
“書けない”のをネタに1日分は大丈夫、みたい なね。これはズルなんですよ。レッキとしたズルです。すみません!
そうはいってもこのいと日記、毎日書いた甲斐あって、なんと100以上になりま した。本にならないかと、検討してます。(勝手に)
雑誌のコラムとかやれないかしら。まだ無理ですかね?なにしろなにやっても奥が 深いですものね。
でも深いこと先に気にしてたら、なんにも出来ませんものね。やったもん勝ちです よね。こわいもの知らずの勝ちっていうかね。
と...ひとりごとをとりとめもなく書くのもたまにはいいなあ。...や、ちゃんとや りますってば。
今日は、このへんで...
ラジオやってきました。生放送はやっぱりおもしろいです。人と話すのは、何か
しら刺激になるし、いいことずくめです。
そして、夜は、ライブ見にいってきました。・・・すごかった。鳥肌が立ちまし た。
同じ空気を吸ってた瞬間を、今思いだしても、幸せに感じます。感激屋の私は、 またもや涙ぐんでしまいました。
私もそんなライブにするべく、ますますやる気です。 それでは皆様、いい連休を。
最近、販売機、自動ドアなど、いろんなものがしゃべる。
“おつりをお取りください”“操作がまちがっています”“ただいま発券しております”etc...けっこうすご
い。
センサーが人通りを感知してしゃべるのであろうコンビニのそれは、客が出ると “いらっしゃいませ”、
入ると“ありがとうございました”と、
しょっちゅう逆に なっている。間抜けなこときわまりない。
こちらも センサーなのだろう、トイレがしゃべるのはちょっといただけない。
今日はいったトイレは、個室の中に入り鍵をしたとたん、“このトイレはセンサー に手をかざすか、ドアを開くと自動的に水が流れます”
としゃべりだした。何か、見られてるようである。
生まれてこのかた、トイレの個室の中で誰かの声がしたことがないので、けっこうな違和感
だ。 あんまり気分のいいものではないと思うのは、私だけだろうか。
なんでこんなに機械がしゃべるんだろう。人との対話が必要とでもいうのか。
こんなことじゃ、よけい対話なんか、ますますしない世の中になってゆくだろう。便利さを追求するあまり、根本的に狂わされている気がする。
いいものを、残すことも捨てることも出来てしまう人間は、だからこわいのだ。
そうはいっても、便利にな時代に慣れすぎてしまったのは、私も同じだ。
だからせめて歌をうたって、アナログな私を残そうと、思う今日この頃である。
幼稚園の頃、月に一回身体測定があった。
それは夏場の身体測定のあった日。服を一人で着られない私は、母が迎えにいった 時、はだかんぼうで走りまわっていたらしい。
そう、着られないから着なかったの だ。 その日、母は先生からきつく「一人で着られるように躾けてください。」と言われ
たらしい。
そんなことは露知らず、元気いっぱいに走りまわっていた私を母はしからなかっ た。仕方なく洋服を着せ、いつも通
り家に帰った。
やれないことをやれないままにしてしまうのは、この頃からだったのだ。しかもはだかのままでいちゃう頑固なとこもこの頃からだ。
でもまあ、あたりを気にせず自分をまげずに走り回っているのもこのころからなわけで、こんなころから私らしいんだから「仕方ないな」と、
改めて自分の本質を見たような気がしたのであった。
ふと、壁掛け時計をみる。「あれ?さっきも6時だったな」と思ってよくみると、
6時ピッタリで止まっていた。
アナログ時計で、電池式である。けっこうたよりにしているので、ちょっと困っ た。
好きな時間は何時かと聞かれれば、答えは3時。子供の頃からそうで、お絵かきの 中の時計の針は、いつもきまって3時をさしていた。
先日、友人達と“子供の頃砂を食べたことがあるか”という話で盛り上がったが、 食べたことがない人がいることをそこではじめて知った。
みんな当然食べたことがあ ると思っていたのだ。
食べなかった派は“おなかがすいてたの?まずいにきまってるし、味わう必要なん かないじゃん”という。
私たち食べた派は“べつにおなかがすいて食べたわけでもなければ、おいしそうだ ったわけでもない、ただ、確認したかった、というか、
どんな味がするのか知りたか ったのだ”と答えた。
本当にそれだけだった。知りたかったのだ。 結果...まずかった。本当にまずかった。ちゃんと飲み込んだが、じゃりっとしたあの感じは、今だに思い出せる。
しかもそれだけではなく、食べた派はどんぐりも、まつぼっくりも全部食べてみたことがあった。単なる食い意地ではないと願いたいものだ。
好奇心旺盛なところは、見習いたいくらいである。
3時...夕飯のじかんでもお昼ごはんのじかんでもないこの時間が好きなのは「おやつ」という、甘いものが食べられるイメージ、が強いせいだと思われる。“あま
い”は“うまい”に一番近い発音をする。その理由がそこにある気がする。
時計はまだ止まっている。針を3時にあわせ、幸せな連休を過ごしてみようと思う。
子供の日。いい響きですね。子供の日。すごいネーミングですよね。なんかこの日
ばかりは子供の天下みたいなね。
鯉のぼりもいいですよね。 “いらかの波”ってどん な波?とか思ったりもしますが。
でも男の子の節句は休みなのに女の子の節句は、なぜ休みじゃないんだろう?とか昔はよく思いました。
子供っていうひと括りにされるなら、なんではじめっから男女の節句を分けたん だろうとか。
まあ、いいんですけどね。なにせこのネーミングが大好きなんです。夢があって、 絶対晴れてるイメージなんです。
そりゃ〜もう、元旦の次くらいの勢いで晴天なんです。 今年も晴れてました。子供の心のように澄んでました。
うちの実家は自営業。小さな頃から、いくら「早く寝なさい!」と言われても、夜遅くまでみんな起きていたので、私もつられて起きていた。
「早く寝ないと明日になっちゃうよ!」と言われ、“明日になっちゃう?”それが am12:00の意味であることなんか知らず、
明日=朝になる、という意味だと思ってい たので“朝がくるの見たい!”と、よけい目がさえてしまうのだった。
たぬき寝入りでじーっと待つ...待てど暮らせど真っ暗で、そのうち家族が眠って も朝はまだまだ来なかった。
そして私も知らないうちに眠ってしまう。 起こされるとすでに朝だった。“ぜんぜん明日なんて来ないじゃん”と思ったもの
だが、
それをいうとたぬき寝入りがバレるので、自分だけの疑問にしておいた。
今は、朝になるのが待ちどおしいというよりは、どちらかというと“もう朝な の?”とか“もう少し寝かせてくれ〜”とか思ってしまう。
長い夜をつらいと思うこ ともあるが、どちらにしても純粋に“わくわく”とはあまり思わない。
せっかく毎日新しい朝が、こんなにもきちんと来るのだから、たまにはたぬき寝 入りで、明日を待ってみるのもいいかもしれない。
とうとうGWも終わってしまいましたね。
長いお休みはリフレッシュにもなりますが、だるさがおそってきたり、悩みすぎ てしまったりもするのではないでしょうか。
そこで今日は、私なりのお悩み解決索を書いてみようと思います。
たいていのことは、自分の進みたい方向で正しいのだ、と信じてみたらいかがで しょうか。
人のことを思いやるあまり、自分を傷つけることは、結局まわりを傷つけ ることになるような気がします。
例えば、はやしいとが落ち込む、と心配して友達も落ち込む、とその友達も...という(ー)の流れが出来てしまうより、
はやしいとが元気!とその友達も元気を分 けてもらって元気!、とその友達も...と(+)の流れが出来た方がいいと思うん
です。
大切なのは、自分を強くしておくこと、つまり幸せにしておくことなのではないでしょうか。それが結果
的には、まわりの幸せにつながるのでは?...
とか言って私も しょちゅう落ち込んだりしますけど。そんなときはせめて、それが伝染しないようにしています。
一見かなりわがままにもなりかねない解決索ですが。つい真剣になりすぎる私なので、この続きは、また別
の機会に。
....明日からまた、忙しい毎日が確実に始まってしまう、はやしいとより。
今日、とある場所から機材をうちに運んだ。かばんに入るほどの大きさで、そんなに重くない機材なので、電車を乗り継ぎ、歩いて運んだ。
はじめはなんてことなかったのだが、これがだんだん気付かないうちに腕が疲れ、足が疲れ、家に着くころにはヘトヘトになっていた。
はじめから重いものとわかっていて持つならそれなりに準備も出来る。たとえば手 伝ってもらうとか、車で運ぶとか。
だが、ちょっとだけいつもより重いものというのは、いつもと同じ自分で持とうとするので、油断してしまう。
長時間なんとなく自分にかかる重たさ、というのは、実 は一番つらいのかもしれない。
1つだけつらくない方法がある。それは自分をすこしだけ鍛えることである。今持 てないものでも、そのうち軽々と持てるようになるはずである。
そして鍛える方法は、皮肉にもちょっと重たい荷物を、持つことなのである。
最近、“「はやしいと」って本名ですか?”という質問をよくされるので、今日は
名前について書こうと思います。
林 維斗...これが父がつけた私の本名です。それをひらがなにしました。
“維斗”は、北斗七星の別名です。私は、星の名前をもらいました。
小さいときは、いじめられもしましたが、かなりスケールのデカい名前に、負けないようにと、がんばれているような気がします。
はじめて“維斗”の意味まで知っている人に会ったのは前の職場でした。 その方はそこを私
が辞めるときの寄せ書きに
『維斗の名が示すごとく、輝ける人生を送って下さい』 と、大きな字でど真ん中に書いて下さいました。
はい。がんばります。世界を照らせるように。
「何かこうかな〜」とか思いながら、ちょっとボーッとするだけで、パッとスクリ
ーンセイバーの画面にかわってしまう。
「待ってられね〜よ」と言われているようで ある。 「まあまあ、そう言わずに」と、マウスをちょっと動かすと元に戻る。
そしてまたちょっと考えていると、「あ〜もう!」と言われるや否や画面が変わる。
「今度は書くからさ〜」と言って、これを書いている。案外かわいいやつだ。
この文明の力のおかげで、最近、いろんな人々との交流がある。様々な思いをこい つが運んでいる。ありがたい限りだ。
書くという作業は、実はとても落ち着く作業なのかも知れない。自分の頭の中を整理し、客観視するには一番いい方法であるように思う。
ほんとにすごい。ますますかわいいやつなのである。
もう終わってしまった。1週間...ほんとうに早い。 めまぐるしさの中で、ふっと気が休まるのは、寝る前のこの時間。
日記かいて寝よっと。という軽い感じでは書けなくなってきていることも事実だが、意識的に生活するようになれたかもしれない。
起きている事象を、ひとつひとつ丁寧に感じることもより一層出来るようになっ た。
なんでも同じだし、なんでも奥が深いし、楽しいし、つらいし、続けたいし、やめ たいし、明るいし、暗いし。
でもこの振幅の大きさが、醍醐味なのだ。何事も、感受性がつよいもの順に損をするが、それ以上に得もすると、信じている。
明日はもっといい日になりますように。おやすみなさい。
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ここで、 一旦、日記を打ち切りにするのですが、その頃たぶん、日記を書く事を半端に出来なくなってきてしまい、
不器用な私は音楽との両立に 悩んだ末、打ち切ったと記憶しています。
で、8月に2回だけ書いたのです。
「あ、今私、暗い表情してるな」と、道を歩きながら気付いた。
誰もみてないんだからまあいいのだが、ちょっとわざと明るい顔してみたりして、
「いや、これは明るすぎるな」とか心のなかでつぶやいたりして、そして努めて普通の表情をしようとしたりして、
自分の普通ってどれなのか、分からないもんだなと舌打ちした。
暑い中、汗だくになりながら歩くこの頃の私の、本トのはなし。
ちょっと時間があったので、いつもならファーストフードに入る所、喫茶店に入ってアイスコーヒーとバタートーストをたのんだ。
まず出てきたのは銅製のカップに入った真っ黒い液体...“これだ..”これは私の中では『大人の飲み物』なのだ。
子供の頃、喫茶店につれていってもらうと父は、夏場はこれを飲んでいた。つめたそうに水滴をいっぱいつけ、キラキラしたそのカップは、
風貌がかなりおいしそうで一口もらったことがある。“苦い...”大人はこういうものを飲んでいるのだなと、全然おいしくないその飲み物に
そう名をつけて、自分は甘いオレンジジュースやクリームソーダを飲んだ。
さて、もう私は大人なんだし、これもおいしく飲めるだろうと思い一口飲む...“苦い...”あの日の味とちっとも変わらない。
少し飲んでは水を足し、上のほうだけかきまぜては、また少し飲んだ。苦くなくなるまでに足したかなりの水とミルク...
おかげでざっと人の10倍の量は飲んだだろう。次は5倍くらいで済むように...早く大人になりたいものである。
...そしてバタートーストが出てきた。パクリ...“これだ..”やたらバターっぽくて、やたらカリっとしたこのトーストは、
なぜかうちでは味わえない昔の味なのだった。
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今回、またこうして掲載してみて、過去の自分に励まされたり気付かされたりすることってあるんだなぁと。
だからきっと、またこれから、日常を丁寧に感じることで、たくさん曲が出来るでしょう。
それが何故か自信につながった、いい企画でした。
この企画のきっかけになった出来事があったのですが、それはまた、後日ゆっくり。
読んでいただき、ありがとうございました。
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